田植えの風景とその用具(民具)
日本では、いわゆる高度成長期以降、縄を張ったりころがしを使って田植えをする風景は姿を消しました。
しかしながら、今も子供たちの農業体験として見ることができます。
写真は縄を張って田植えをする窪川小学校の児童。私たちが毎日食べているお米がどのように作られ収穫されてきたのかを体験する授業を近くの田でしています。(中山)
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田植え定規》
田植えは、日本では高度成長期に至るまで、大方隣近所で共同して行なわれていました。
歴史をたどると、20世紀に入る頃から、道具を使わず適当に植えていたそれまでの「メッタウエ」から除草用具が使える正条植えへと移行し、苗の幅を一定に整えながらまっすぐ植えていく道具として写真のような田植え定規や田植え枠が普及していきました。その後、立ったまま効率よく植え付け用の跡(しるし)を付けることのできる「ころがし」や、縄を張って間隔を揃えて植える縄植えの方法がひろく用いられるようになりました。
高知県立歴史民俗資料館(旧大栃高校)所蔵。
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ころがし》
1960年前後に使用されたころがし(高知県の窪川で考案され特許〔実用新案登録〕登録された福田式ころがし)
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ころがしを使った田植え(1)》
水をできるだけ浅くした田の上を転がして跡を付けていきます。
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ころがしを使った田植え(2)》
ころがしで付けた目印の線の交わるところに苗を植え、等間隔になるよう植えつけます。
写真では男性が植えていますが、当時の苗の植え付けは主に女性が担当し、女性達は早乙女と呼ばれていました。
ころがしを使った田植えは各人の能力によって異なり、1日に1人が植えることのできる面積はおよそ7アール位で、特に腕のたつ女性は10アール位を植えたようです。
(2016年11月5日−中山忠愛・井本正人)