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enjoy lifestyle土佐の紅茶 〜 第3の波へ 〜

揺籃期を脱しつつある土佐の紅茶

《 紅茶生産 〜 第三の波へ 〜
 私たちがお茶といえば当然のことのように(Japanese) green tea(緑茶−不発酵茶)が頭に浮かぶが、我が国では紅茶(発酵茶)生産を本格的に推進した歴史を過去に2度経験している。
 最初は明治期。明治初期には茶は生糸につぐ輸出品目で、紅茶製造もまた輸出振興策として奨励され、高知県での紅茶生産は1889年には59トンとなっている。しかし、この時は中国・インドとの競争に敗れ、その後の生産量は急減している。
 2度目は戦後のいわゆる高度成長期。高知県の状況を1962年の茶業振興5ヵ年計画で見てみると、この期の需要拡大を見込んで、1962年から1965年にかけて緑茶の茶園面積が804haの現状維持に対し、紅茶園は334haから664haへと2倍加する計画を打ち出している。しかしながら、この期の紅茶生産は25トンから36トンに増えたものの絶対量そのものは少なく、しかも1960年代後半の輸入自由化や紅茶価格の低下によって、紅茶の増産計画は再び実現されなかった。
紅茶の製造機械 その後、最近に至って、新たに各地で紅茶の生産が幅広く試みられるようになってきている。高知県内でも紅茶商品の種類が増えてきている。生産者には「しまんと紅茶」(広井茶生産組合)のように独自に機械設備を導入し製造し始めているいるところもある。が、多くは茶生産農家による個人経営である。近年の県内の紅茶生産は、以前のような国策や行政による計画・支援を伴わないグラスルーツ(草の根)的な生産の広がりが特徴といえる。
 この新たな紅茶生産の広がりの背景を端的にいうと、一方で、情報化社会のもとでの多品種少量生産という経済構造のもと、インターネットに代表されるように情報が瞬時に消費者にゆきわたる環境が生まれていて、流通コストや決済システムも安価で利用しやすいものとなってきている事情がある。他方では、緑茶の生産価格が下落・低迷し、特に高知では二番茶以降の収穫をやめる農家が多くなっている状況下で、技術・原料の有効活用や関連部門への進出による活路が強く求められていることがある。

《 揺籃期から脱しつつある土佐の紅茶 》
紅茶生産を始めるにあたり、知識と技術については、身近なところでは高知県の茶業試験場にある。また、紅茶生産に使われる茶の品種については緑茶用の主要品種である「やぶきた」もあるが、紅茶用の品種も県内数個所で今なお栽培されている。茶業試験場には紅茶用を含む数十種類の品種が育てられているので紅茶生産の拡大に際しては紅茶用品種の植栽も可能である。
 紅茶生産の初期の段階では茶業試験場等の協力によって知識や技術の導入をはかり習熟に努力が注がれるが、同時に、消費者に受けいれられる紅茶として製品化するためには味覚に関する取り組みも必要となる。 「いい酒を造ろうとすればまずはいろんな酒の味を憶えること」(浅野徹さん−司牡丹酒造杜氏)との指摘は紅茶の生産・販売にもあてはまる。日常的に紅茶に親しみ、生活文化の一部となっているとはいいがたい地域では、まず紅茶の生産・販売者みずからがさまざまな紅茶を知り消費能力を高め、みずから製品化した紅茶を消費者の享受能力の向上と結びつけながら高評価へと近づけていく必要がある。 言い換えると、良質とされる外国産紅茶の香り、甘み、渋みを参考にしつつも、消費者にとってあらたな発見と感動を伴う日本的な紅茶、そしてそれを日常の風景に取り入れる生活文化の創造とでも言えようか。  参加者
テイスティング  今年の明郷園(佐川町)の試飲会(2015年11月21日)は紅茶生産にとりくみはじめて7年目になる。試飲会は地元で評価の高いスイーツを楽しみながら行われ、茶話会のような雰囲気が感じられた。参加者の多くは女性であったが、日頃楽しんでいるスイーツの消費(享受)能力には高いものがあり、それらと調和する日本的な紅茶を作っていくのも一つの選択肢であろう。
 いずれにせよ、地域の人びとが協力し、まず自分たちにとって魅力的な紅茶を産み出していくのは、明郷園の事業展開のみならず新たな地域の文化・地域力の創造でもある。
明郷園では、紅茶づくりに確かな手ごたえを確信しつつ、紅茶用の茶畑10アールを整備し、佐川の局地的な市場圏から高知市のホテル等へと本格的な市場展開を図りつつある。
(2015年11月27日−MI


紅茶・烏龍茶

2015年、紅茶商品に烏龍茶も加わる(明郷園)

はつもみじ

紅茶畑(はつもみじ−2.5年生苗木 )

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