Archive for 2016

高知県内の民具調査(2016年4月~7月)実施

7月下旬、高知県内の民具調査を終える。手弁当でも、今しておかなければとの念いで始めたものの、当初予定していた1~2ヶ月は優に超え、終わってみると4ヶ月経っていました。
民具は民俗資料として公的には教育委員会が管轄しているので、主には市町村の教育委員会に調査趣旨を説明し協力いただきました。県内の全ての民具施設(調査協力の得られなかった1自治体の施設を除く)は、それぞれ一部をホームページで紹介(うち3施設は紹介の中止・延期)しています。これでホームページでの民具施設の現況紹介といった調査目的の1つはおおむね達成されたと考えています。このホームページ(土佐の民具)では、民具調査の趣旨について理解を深めることのできる記事も掲載していますが、このような記事は今後も加えていきたく考えています。
各地域で蒐集されている民具の今後に向けての取扱い(活用)は、まず多くの人が現状を見て考えることから始まります。リアル高知のホームページがその一助となればと願っています。
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ところで、調査の開始にあたっては高知県立歴史民俗資料館の梅野氏から基礎資料の提供を受けたので準備がスムーズに進みました。
また、民具の現地調査にはリアル高知のメンバーでもある川口先生に可能な折に同行していただきました。おかげで写真・映像の収集内容が豊かになるとともに、私自身、彼女の専門分野である衣分野の知見を拡げることができました。たとえば、徳島との県境の山間部にある「農林漁業体験実習館」(香美市物部町別府)でみた「物部布形見」と「かい巻き」。
DSC_0145s「物部布形見」は、彼女の説明によれば、この物部で実際使われていた着物地の一部を残して貼り合わせたものとか。かつて私が生活デザイン学科にいた時、学生たちが昭和初期の着物(普段着)を着ているのを見てその色彩の豊かさ、センスに驚いたことがあります。この「物部布形見」をじっくりみながら、この地の厳しい生活の中でのゆたかでやさしいものとのつながり、現代に翻ると、もののゆたかさの中に潜む疎外・貧困の一端を見る思いがしました。

DSC_0147sまた、「かい巻き」は、綿の入った夜着(よぎ)の一種で、襟元が包まれるので布団のように肩から風が入らず暖かく、物部のような寒いところで用いられてきた、とのこと。
過疎が進み、子供たちもほとんどいなくなったこの地の施設を訪れる人は少なくなりました。しかし、「農林漁業体験実習館」には往時をしのぶことのできる民具が今なお数多く保管されています。(2016年8月12日-Imoto)

2016-08-12 | Posted in Lifestyle を見つめてNo Comments » 

 

手づくり紙芝居、カワウソ健太くん、ほぼ完成

 手づくり紙芝居作家、松井豊美さんの新作がほぼ完成。高知市内のとある喫茶店で試写会ならぬ試演をしていただいた。実は、これは私がニホンカワウソの標本調査で心に残った記憶をもとに絵本或いは紙芝居用にと原案を創ってお渡ししていたものだったので、松井さんが見事に紙芝居用の新作として鋳直して創られたこの作品は特に感慨深く見させていただいた。
20160319 松井さんは創作作業をはじめるにあたって主人公、健太君(二ホンカワウソの名前)の剥製のある大月町役場を訪れただけでなく、健太君が亡くなった場所である白浜海岸まで行って構想を練ったとのこと。近年絶滅したニホンカワウソをモチーフに、人間と動物の関係のあり方を松井さんなりに考え、それを紙芝居を見る人に共感と感動を伴って伝えることができるよう工夫されていた。
 これまで作品を見させていただいてきているが、一作ごと試行錯誤と努力の跡が感じられる。個人的には、刺激・インパクトの強い絵に依拠してメッセージを伝えるのではなく、やはり作者の人格が映しだされるような、絵とストーリーが調和し、心の奥底に心地よく記憶として残るこれまでの作品づくりの基調は今後も続けて欲しいと思う。
  当日は、四万十町在住の松井さんがわざわざ高知市まで来られたことでもあり、天気も回復してきたので紙芝居でも取り上げている野市動物園まで参加者みんなで行ってみようという事になった。が、あいにく園長さんは休みを取られていたので、園長さんにご挨拶するのも動物園で飼われているユーラシアカワウソを見るのも次回ということになる。(2016年3月19日-MI

2016-03-19 | Posted in Lifestyle を見つめてNo Comments » 

 

高知県立埋蔵文化財センター 訪問

 3月16日、南国市にある県埋蔵文化財センターを訪れる。これまで展示品を見に行ったこともある施設だが、今回の目的はリアル高知に掲載予定の記事に関する打ち合わせである。
 雑談を交えた話の中で、センターの調査活動が旧石器時代からまだその時代を記憶する生存者のいる第2次大戦期まで拡げられてきていることを聞かされる。
 古代(奈良・平安時代を指す。大和朝廷時代も含める?)からさらに歴史をさかのぼった文字のない時代、いわゆる旧石器時代や縄文・弥生時代の生活はというと主に発掘を通じて明らかにしていくほかないが、高知におけるその作業を一手に引きうけているのがこのセンターであり、有史以前の地域の歴史を解明していくこの施設の役割には極めて重いものがある。しかしながら、発掘調査はそれ以降の時代についても歴史を明らかにしていく手段として欠かせない。センターはそれについても取り組んできているとのことである。
 現代は、機械で容易に土地を掘り起こすことができる時代である。土地開発が進み、地表や地下に眠る地域の生活史が永久に消えてしまう状況も進展している。センターは発掘によって歴史を記録・保存し、重要な遺跡を保存整備することによって、開発で消失しつつある埋もれた歴史を白日のもとに蘇らせているかにみえる。
  ところで、各地でなされているこうした発掘調査をつうじて私たちのルーツである過去がつぎつぎと明らかとなっている。その結果、センターの資料でも紹介されているように時代区分さえも変わってきている。たとえば、従来の教科書では弥生時代の始まりは紀元前3世紀となっていたが、現在では紀元前10世紀までさかのぼっている。藤尾慎一郎『弥生時代の歴史』(講談社、2015年)によれば、弥生時代の指標となる水田耕作は紀元前10世紀の九州北部で始まり、弥生文化が展開されたのは本州・四国・九州とある。センターの調査研究を通じて四国高知の弥生文化が生き生きとしたものとして明らかになっていくことを期待したい。

 打ち合わせが済んでから施設を案内していただく。私たちからいうと展示室のバックヤードともいえる館内の作業室等ではかなり数の職員が黙々と作業をしていた。あとで年報(2013年度)を見てわかったことだが、調査課の人数は契約職員も含め総勢19名の体制となっていた。
20160316-1 そこでは、遺跡で見つかった出土品に遺跡名や地点等を記号で記入していく作業から、牧野富太郎のあの芸術的ともいえるような植物スケッチを想起させる正確に測定されたスケッチ、ピースの欠けたパズルを組み立てるような接合作業等までを見させていただいたが、こうした手間暇のかかる地道な作業現場こそが、高知の生活史をいにしえの祖先から明らかにしていく最前線といえるのではないか。(2016年3月18日-MI

2016-03-18 | Posted in Lifestyle を見つめてNo Comments » 

 

農山村の仏像(北川村)

2月15日。高知の東部、中岡慎太郎館を訪れる。目的は「北川村の文化財-神社仏閣を中心に-」の企画展が開催されていて北川村の仏像文化を一目見ておくこと。
2階の展示室に足を踏み入れるとそこには北川村で祈りの対象として長い歴史を刻んできた仏像が展示されていた。数は多くはないが地域の信仰心の厚さ・歴史を想像でき期待を裏切らないものであった。
過疎の農山村にあるこうした仏像は、全国から集めた富を背景につくられてきた奈良や京都の仏像と比べると洗練された芸術性や様式美に劣るとして下位に評価される傾向にある。国宝にはじまり、重要文化財、県指定、市町村指定の文化財と格付けされ、評価されることに、地方もまた依拠してこと足れりとしているかにみえる。
たしかに北川村などの地方の仏像はそのような富に支えられたものではない。これらの仏像は、つくられた当時の仏像の様式を取り入れつつも、わずかの金を出し合い、また自分たちでつくったものなので、都の洗練された様式美から見ると荒削りで、素朴で劣っているかも知れない。だが、地域の人びとにとっては、先祖伝来の祈りの対象であり、地域のまとまりと歴史文化を形づくってきた歴史的に価値ある仏像であり、はげた塗さえもその歴史を感じさせる美の構成要素である。
しかしながら、地域の歴史の記憶遺産として、また地域の仏教文化、その芸術的側面からも貴重なこれらの仏像は、一方で、過疎化や生活様式の変化に伴う価値観の多様化によって地域における存在感が薄れてきている。また他方では、その歴史的価値ゆえに紊乱した現代社会で盗難の危険に晒されている。そして、既存の文化財保護制度下、低い評価の前で手をこまねいていたのでは失われたり盗難に遭う可能性が大きくなってきている。この現況にどのように対応していくのか、地方の文化的継承にとって重要な課題である。
DSC_0398video_033ここでは木像仏ではないがその魅力の一端を垣間見るべく磨崖仏をひとつ紹介しておこう。
学芸員の門脇智也さんの説明の中で話題に上ったこの磨崖仏は星神社の鳥居を抜けて入った境内の傍らにある。片側が断崖の小路を下りてすぐの所で、素人には神社に磨崖仏があるというのも不思議だが、見るとひかえめで魅力的である。星神社そのものが人里から離れた山の上にあり、信心深いこの地域の人びとの生活史に思いを馳せることができるとともに、聞こえてくるのは木の葉のささやきと小鳥の鳴き声のみの厳かな雰囲気を感じさせるところである。(2016年2月16日-MI

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松井豊美さん、「手づくり紙芝居コンクール」で作品賞を受賞

手づくり紙芝居作家の松井豊美さんの作品が「手づくり紙芝居コンクール」で作品賞を受賞。その作品が展示されていると聞いていたので、1月31日、伊野町の紙の博物館を訪れる。展示場にはすべての受賞作品が並べられていて、松井さんの作品を見るとタイトルは「妹兄島物語」。ストーリーを読み、見終わるといつものように心地よい余韻と映像が残り、いい作品に仕上がっているように感じられた。
DSC_0035 すべての受賞作品を見て回り、松井さんと展示作品についてし話していると、おもむろにバッグからこの紙芝居を出してくる。プチ紙芝居とでも表現される小さな木枠に入っていたので、最初、額縁に飾ったものと間違えたが、少人数向けに作られた紙芝居と説明される。喫茶店ででもテーブル越しに気軽に上演できそうなもので、紙芝居文化を日常生活の一コマへと浸透させていくにはなかなかいいものではないかと思う。
紙芝居の話題が広がる中、松井さんの作品には身近な自然や山歩きに関する作品があって、関心にも高いものがあるので、かねてから身近な山に親しむライフスタイルを推奨したいと考えていたリアル高知とも協力して山歩きを楽しみ、それぞれのテーマを深めていこうということになる。
そして、リアル高知としては主にホームページに掲載する準備をすることにし、同席していた岡村安子さんが中心となって企画を進めることに。岡村さんは山が大好きで長く山に親しんできた方、海外ではキリマンジャロなどにも登頂した経験もある方なので、どのような山歩きになるか、期待したい。(2016年2月3日-MI

2016-02-03 | Posted in Lifestyle を見つめてNo Comments » 

 

ニホンカワウソ終焉の地? 高知のいま

 ニホンカワウソの最後の生息域は高知県西南部から愛媛県南東部といわれてきた。ニホンカワウソが最後に目撃されたのが高知県須崎市で1979年。近年ではすでに絶滅したものと見なされるようになっていたが、2012年、環境省も「絶滅種」に指定するに至っている。
  ところで、主に人間によって生息域を侵食され、このように絶滅に至った現在、わたしたちがニホンカワウソの実物に最も身近に接することのできるものとしては剥製標本があげられる。ニホンカワウソの剥製標本は、今なお残っているカワウソの記憶とともに人間と動物の関わりを考える際の貴重な手段となったと言えよう。しかしながら、こうした事態を踏まえた高知県の今後に向けた取り組みとえば、課題も多いように思われる。
 高知県とともに最後の生息域といわれた愛媛県の状況を見ると、愛媛県総合科学博物館には、まず戦後最初に捕獲されたニホンカワウソと最後に捕獲されたものが常設展示されている。館内には戦後捕獲された剥製30体が、他、骨格標本やミイラ等も保管されている。また、とべ動物園では前身の道後動物園で飼われていたニホンカワウソの剥製3体が常設展示されており、骨格標本や冷凍された内蔵も保管されている。このように、剥製標本の劣化を防ぐとともに、学術的な研究にも対応できるよう適切に管理されうる施設に保管され、広く公開する体制も取られてきている。
 一方、ニホンカワウソが最後に目撃された高知県はというと、多々良のいち動物園園長さんによれば、剥製14体と毛皮1枚が保管されているとのこと。これらは、のいち動物園に集められた4体の剥製標本を除くと自治体等で分散保管されている。ニホンカワウソが絶滅したと考えられる段階に至り、その剥製標本のもつ教育的・学術的価値は大きく変わったものとなり、将来に向けたその価値は計り知れないものになったともいえる。そのような視点から見るかぎり、現況が充分な保管・管理体制の下にあるとは考えにくい。高知においては、特に、今後の社会的なニーズに永く対応できるよう保管・公開・活用体制の整備が望まれる。
 こうしたこともあって、多々良のいち動物園園長さんにニホンカワウソの記事をリアル高知に掲載していただくことになりました。また、高知県内にあるニホンカワウソの標本剥製の写真も掲載予定。(2016年1月26日-MI

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〔のいち動物園にて-2016年1月22日

多々良園長さんが知らせてくれたので気づいたのがこのニホンカワウソ像。
n-1カワウソコーナーの傍らで終焉の地、高知の西南域をじっとみつめていて、説明書には:「わたしたちはニホンカワウソたちに これまでなにができ なにができなかったのでしょうか そして これからどうすればよいのでしょうか」

 

 

 

園内ではつぎの3種類のカワウソが迎えてくれました。

コツメカワウソ                  ツメナシカワウソ

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ユーラシアカワウソ

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ニホンカワウソはこのユーラシアカワウソの亜種といわれています。須崎市の新荘川ではほんの40年前までこうした風景が見られたのでは…。

2016-01-25 | Posted in Lifestyle を見つめてNo Comments »